ドライブしたい

 今日は夫と洗車に行ったところ、歩道の縁石でつけたキズを発見されて叱責を受けた。夫は「あなたならやりかねないとは思ってたけども」という態度だった。そう、私は運転が苦手である。

 特に苦手なのが車体感覚を把握することで、免許をとった後早い段階で「やらないほうがいいことリスト」に駐車と都市部での運転を追加した。夫もそのあたりよく弁えていて、ロードサイドのうどん屋でもなんでも、駐車場とあればすぐに運転を代わってくれる。

 さて、そんな私であるが、運転すること自体は嫌いではない。独身時代はたびたび一人でドライブをした。特に免許取り立ての頃は、運転できることが嬉しくて実家の軽トラを乗り回しては「すこし大人になった自分」に浸るなどしていた。

 実家の軽トラは非常に非力で、坂道ともなれば精一杯頑張っても時速 50 キロほどになってしまう。そうなると後方車を気にしなくてはならないので、当時は積極的に農道を走るようにしていた。実家近くの農道は、たまに走り屋のような乗用車を見かけるものの、基本的にはトラクターと軽トラくらいしか走っていないし、信号も殆どない。周囲には森やら畑やらが広がり、技術のないものがドライブするには最適な環境なのである。

 なんの目的もなく、蔦屋で借りたフリッパーズギターなんかを聞きながら、ほうれん草畑が視界いっぱいに広がる農道を無意味に走って「ああ将来どうなるんだろう」なんて考えることが当時好きだったが、今にして思えば、ガソリン代もかかるだろうに親はよくそんな娘を許したものだと思う。

 夫は経済感覚に優れており、無職の妻が意味もなく車で遠出するのを許してはくれないが(これは当たり前のことだと私は思っている)、また機会があれば一人でどこかにドライブしたいものだ。「そのためには働かないと」という声が聞こえてきたので今日はここまでとする。

特になんもないのだ毎日は

 特に今日もなんにもなくて、しかし変に気持ちが沈んだので想像上の彼氏に「ドラえもーん」と泣きつくなどして過ごした。想像上の彼氏はいつもの菩薩のような笑顔で「めいそーの考えてることは、全くの無意味だよ」と諭した。そう。無意味なのである。

 想像上の彼氏、つまり考えうる最大限の慈愛をもってしても私を癒やしてはくれないので、やむなく夫に甘えてみたんだけども、「めいちゃん今日なんか悪いことしたでしょ」と指摘された。やってない。やることもあるけど今日はやってない。やってないんだ。

 そんなわけで、今日も人生が辛い。なんで辛いのかって言うといまいちわかんない。最近は、悲しさの理由について、頭蓋骨を満たす何らかの液みたいなものの質のせいじゃないかなって気がしている。

 おそらく他の人は、ハッピーだったり、あるいは無味無臭だったりする液体の中をプカプカと脳が浮いてるんだけど、私に限っては生まれたときから頭蓋骨の中に悲しみ液が満ちてるんだと思う。(科学的な根拠はない)

 頭を満たしている液体の色が一人だけ異なるがゆえに、私の個人的奮闘と失敗の数々は理解されず、多分今後とも孤独を噛み締めて生きていくことになるんだと思う。いかにも悲しい。だから、いつか脳が人並みになって、いまどうしてもできないことが突然できるようにならなかなぁ。そうであってほしい。そうであってほしいと思う今日でした。

 

アワアワアワアワ

 人生でもっとも面白くて無駄だった時期、まぁそれは大学4年間の引きこもり生活だったんだけども、今思い出しても概ね悲しいエピソードしかない。

 今となっては、それらすべて他人事みたいに感じてるのだが、当時は自分のことなので割と深刻だった。今日書くのは、ノイローゼになる前、まだ幸せだった大学1年生の夏の話である。 

 高校時代、様々なものから全力で逃げ続けた私は、幸いにも地方都市の国立大学に入学することができた。そして大学ではあたりまえに孤独な生活を送っていた。

 一般的にぼっちというと人権がない存在ってことになっているのだが、まだ世間をよく知らなかった事もあって、好きな授業に出て、好きなだけ本を読んで、生活は非常に満ち足りていた。金はなかったが、金があったことがなかったので特段苦にも思わなかった。

 そんな私だが、月に2度だけ贅沢をすることにしていた。インターネットカフェである。大学に入って初めてインターネットカフェに遭遇した私は、2,000円程度で死ぬほど漫画が読みまくれることに世界観が揺らぐほどの衝撃を受けていた。

 インターネットカフェと出会う前、漫画はとても高価で、実家の近所に住む池田、池田の兄、ゆかりちゃん、兄の友達、などなどすべての人脈を駆使してようやく最低限読むことができるものだった。好きな漫画もほとんど選べず、まさに「存在するからありがたく読む」という希少価値の高いものだった。それにもかかわらず、ありとあらゆる漫画が死ぬほど読めて、しかも飲み物が飲み放題ということで、常に活字と金に飢えていた私にとってイノベーションの具現化みたいな場所、それがインターネットカフェだった。

 ネカフェまでは自転車で片道30分ほどかかった。夜間料金になる8時を過ぎて、ようやく狭い部屋を飛び出し、街頭もない農道を一人でブラブラ走った。満天の星空の下で、あまりにも幸せで自由で頭がふわふわした。

 それが今では漫画を一冊も読まないばかりか、せっかく得た収入源を投げ捨てて一日「生きている意味とはなんだろう??」みたいな生活である。ほんとにどうしちゃったのだろう。人間ってどうして道を誤ってしまうのだろう。

人生は決断の連続であって

調子のいいときはたまに頭の中に光が走って、それでパパーンてな感じでラクガキする。それをネットにアップする。褒めてもらえる。スッキリする。という感じで気楽に小さなサイクルを回してたんだけども、どうにもここのところなんにも閃かなくって、自然となにか、発散できないものが澱のように体に溜まっていってる。

困ったもんである。いや、ほんとに困るべきは人生が停滞していて、やるべきことをやってない現状がなんだけども、まぁそれは一旦置いといて困ってる。

この文章も無理やりひねり出している。ひねり出す必要は多分ないんだろうけど、なにも発話しないと自分がどんな人間だったのかちょっとわかんなくなっちゃいそうなのでやってる。

今日は夫がいないので、一人でコンビニに出かけるなどした。

近所にはファミリーマートがあって、まだ働いている時期はそれに依存していた。スーパーは一番近くでも徒歩で20分はかかる。夜の8時とかに帰宅して、そこで酒を買って、夫とお弁当を分けあってた。最近は毎日作ってたんだけど、今日は夫が出張なのでコンビニで済ませた。夜の街を気楽な格好で歩いてると、大学生の頃をどうしても思い出す。引きこもってたときのことである。

もう二億八千六百回は言ってるんだけど、大学生の頃、私は引きこもっていた。理由は自分でもよく分かんないんだけど、転入初日に失敗してなんとなく改善できないまま4年過ごしちゃったみたいな感じである。後に私は心からそれを反省し、「二度と引きこもりになんぞなるまい」と心に決めたはずなんだが、33歳、二度目の引きこもりだ。毎日出かけるところはあるにはあるし、話す人もいちおういるにはいるが、心情的にはこれ、完全に大学生の頃といっしょというかなんというか。ヤバイ。ヤバイのである。

とりあえず飲みに行かねばならない。あわよくば一人で福岡行きたい。しかしそれをするには稼ぎがないといけない。というわけで「あーやっぱ働いたほうがいいのかな?でも、でも、でも、でも」みたいな感じになってる。

誰か助けてって思うんだけど、こういうとき、実際は自分しか頼りにしちゃいけないって知ってるので、やっぱ自分でなんとか切り開いて行こうと思う。強い気持ちで生きるぞわたしは。

インターネットで無駄なことを喋って後悔したときに思ったこと

 ネットの海で遊んでいると、あちらこちらに巨大なトラブルがあって、できるだけいつも見ないようにはしているけど、やっぱり根がゲスいから、どうしても目に入ってきてしまい、そのたびに嫌な気持ちになる。

 嫌な気持ちになったついでに、「いつから日本はこんな国になってしまったんだ」みたいなことを衝動的に公表して、すぐに恥ずかしくなって消したりしてしまう。

 私がそうであるように、多くの人にも強烈な「喋りたい」という欲求がある。そして、ネットの向こうから現れてきた何らかの出来事に「アレヤコレヤ」とガヤガヤみんなして喋っている。

 イライラさせるニュースは私の合理的思考を隠してしまい、それで「あの事件で悪いのは一般的にAだけど、私はBだと考える」なんて言ってしまう。それがまた誰かの怒りに火をつけて「それってBに対して失礼でしょう」だとか「あの事件に関して話せる立場ですか?」みたいなやり取りになってしまう。そんなシーンをよく見る。

 それで、そんなことを目にするにつけ「何かを公表するってことは、何らかのリアクションとセットなんだ」という当たり前の事実に思いを馳せる。無力な多くの人たちは多くの場合発言しても反応をもらえない。だからついつい忘れがちなんだけど、誰からも読まれない寂しいつぶやきひとつさえ、本当は誰かの心に石を投げて、小さなさざなみを作っている。