田舎で夫と暮らす
田舎で夫と暮らしてるのである。二人で。積極的にここを選んだわけじゃなく、今となっては情熱的に愛し合ってるわけでもない。
昨日「特に田舎で、夫と暮らすメリットなんかないんだから、都会に出りゃいいじゃん」と言われて虚をつかれた気がした。確かに、適当に仕事を見つけて、離婚しちゃって、どこか知らない街で一人暮らししちゃっても別に死ぬわけじゃない。でもそうしたいって、今となっては思わない。
人生を受け入れるってことなのかも分かんないけど、いつしか都会に対する強烈な憧れがなくなった。自分にはもっと出会うべき人がたくさんいるという思いは子供のころからずっと持ってて、それは都会に行けばあるはずなんだって信じてたけど、場所だけの問題じゃないって信じるようになったからじゃないかなって思う。
インターネットは便利なので、地方にいても諦めずにボールを投げ続けていればそれを拾ってくれる人に出会える。(まぁご飯は一緒に食べられないけど)。そして自分が変わったら周囲の人を変えていくことができる。例え頑固者の夫であっても。
人は選択権を持ってるんだけど、選んだことすべてが実現するわけじゃない。でも自分自身のあり方、頭の中をどうするかは選択することができる。それは環境も変えることができる(違う環境に行くことに比べたら骨が折れるけども)
多分わたし都会で毎週美術館生きたいんじゃないんだと思う。本当に出会うべき人たちに、切実に出会いたいんだけど、別にできたばかりの素敵な店でその人達と美味しいランチしたいわけじゃない。多分夫はすでに出会った本当に出会うべき人の一人なんだと思う。だからここを離れるのは違うって感じるなー今は。という感じです。
でもこれって停滞なんだろうか?ワカンネ
最近の生活について
退屈な日々を送っている。
最近あった面白かったことといえば、面接を受けたことくらい。とはいえ、就職活動らしい就職活動をしたことがなかったので結構わたしにとってはスリリングだった。
面接では、インターネットが大好きで仕方なくて、インターネットは人の人生を変えてしまうって話をした。インターネットの話をしていると、例え就職のための面接であろうが、泣きそうになってしまう。好きだ。インターネット。私の人生。
仕事を辞めてから、今まで知らなかったような人たちと「現実に」知り合う機会が増えた。何度も転職してる同じ年頃の女性、ほとんど組織で働いたことのない50代、地元から出たことのないクラブ好き、大学で挫折した若者、全員知らなかった人たち。
そういう人らに囲まれて、なんとなくその人達と深く話すこともないまま、日々やることを最低限こなして生きている。そういえば、せっかく近くにいるのにほとんど話したことがない。もったいない。
普通、人生は台風みたいにギャンギャン騒がしい。少なくとも仕事をしているときは毎日そうだった。仕事が苦手だったし人も嫌いだった。仕事は能力を超えて、人は予想外に激怒して、やる気はまったくなくて、真面目にやっても不真面目にやっても失敗した。
そしていま、台風の目みたいに無風状態で、特に面白いこともなく、悲しいこともなく穏やかな日々を過ごしている。これでいいのかなと不安になる。世界が急激に小さくなっていくのを感じる。取り残されているという不安じゃなくて、「知るべきもの、出会うべき人たちをみすみす見逃している」という焦りが少しある。
なんとかしなきゃヤバくって、やり方がわかんないのでとりあえず家を出てコーヒーでも飲むしかない。
より良くならない
人生というのは頑張ったからといって結果が出るわけじゃないし、頑張りが同じだからって同じ結果を得られるわけでもないし、結構理不尽であることで知られている。(あんまり頑張ったことないから聞きかじりなんだけども)
そんでもなんか困ったもんで、昨日より今日が良いって仕組みがあればがんばれちゃうのが人間で、そういうのをうまいこと利用してゲームのレベル上げとか、TOEICだとか、ダイエットだとか、とにかくひとはいろんなことをしている。
そういう社会の仕組みがあって、頑張って良くなることを支援したり尊敬したりする文化ってもんがあるんだけど、それにフィットしない人や集団ってのは結構な単位でいて、多分わたしもその一人なんだと思う。
毎日いろいろな決意を持って、いろいろなライフハック的な記事を読んだりして「よし明日の自分こそ違う自分になれる」って思うんだけど、気づけばいつも同じところをグルグル回っている。目の見えない虫みたいなかんじで。
向上していきたいんだけど、向上できたことが人生であんまりない。変化はあるけど、それが向上だったかと言われると自信がない。
だからもう向上心は半分捨てて、なんか違う方向性で生きたいなーと思ってて、そんで仕事をやめちゃって、あまりにも前途が獏としてて立ち尽くしてるのがまさに今、という話です。
好きになった
大学時代から生活の多くをインターネットにつぎ込んできたにもかかわらず、SNSにどっぷり浸かるようになったのは去年4月マストドンを始めてからで、私はそのときすでに32歳になっていた。
成人してずいぶんたってからSNSを知って、やばいくらいにそれに沈み込んでいたら知らぬ間に沢山知り合いができた。友人と呼べるような人もできた。そして、人と接する中で、どうも自分には「表現したい」という感情があるんだってことが分かって、毎日チマチマと下手なイラストをアップするようになった。
学生の頃イラストは描いていたが、「趣味」と言えるようなものでもなかった。しかし、SNSに出会って、気まぐれに猫の絵をアップしていたら、私の落書きを「すてきだ」と評価してくれる人が現れた。なんとわたしのファンだと言う。信じられない。
もともとお調子者の気質があり、褒められるの嬉しくてチマチマとキャラクターの落書きをアップし続けている。そのうちにどんどん欲が出てきて、「あれが描きたいな」とか「もっとうまくなりたいな」とか思うようになった。もしかしたら、これって趣味って言ってもいいのかもしれない。
趣味を持つのには才能が必要で、私にはその才能がどうにも乏しいようだ。だからこうして「趣味」と言われるようなものができたこと自体がすごく新鮮で、面白い。「好きなもの」がある人にはうまく伝わらないかもしれないけど、「好き」になることは結構難しいのだ。
「好き」は合理的じゃないから、ときどき秩序の邪魔をする。だから、秩序の中に生きるとき、好きなものがあるってことはリスクになる。安全に生きようと思ったら、何も好きじゃないほうが合理的なんだと思う。
でもなんか最近どうにも落書きしてるとやっぱりちょっと楽しいので、私は貴重な人生の時間を合理的に生きずに、楽しいお絵描きに費やしてしまう。それってすごく人間ぽくて、自分の知らない自分なので、(人からどう評価されるかは分からないけど)楽しい気持ちが続けばいいな、好きという気持ちをいつかもっと深く知ることができたらいいなと思っている。
ラオスに行って楽しかったなぁという話
2017年の夏にラオスへ行きました。ここではラオスの魅力を自分なりにまとめます。
1 ラオスはどんな国か
2 ラオス観光を勧める理由
4 行ってみてよかったなぁと感じた場所
5 ねむい
1 ラオスはどんな国か
・タイの田舎(ただしタイではない。タイとは全然別の国。)
・平和な東南アジアの田舎
・田舎のおばあちゃんの住んでる町(ただし言葉が通じないしおばあちゃんも別に住んでない)
2 ラオス観光を勧める理由
①ダラダラしやすい
旅行先では体力の続く限り野山を駆け回っている人も、思わずダラダラさせてしまうようなゆるさが町・人にあふれています。手頃で、しかも清潔なリゾートホテルのプールに浮かびながら雨に打たれていると、「効率」とか「合理性」とかが脳から溶け出していきます。
②人がやさしくまじめ
そのへんの道端でまんじゅうを買ったとき、正確な金額でお釣りが返ってきました。すごいことです。ただし、「トルコ人と名乗る男から薬を飲まされ、あり金全部もってかれた」という男子大学生もいたので、運が悪かったら死なないとも限らないです。
③人がすれていない
観光地といえば、百戦錬磨の物売りさんやグイグイやってくるタクシーのひとが当たり前にいますが、なんと、ほとんどいなかったです。すごいことです。多くの人が恥ずかしげに微笑んでくれます。
④食べ物がおいしい
美味しいです。
⑤物価が安い
安いです。
4 ラオス旅行で気に入った場所・アクティビティ
①Maison Souvannaphoum Hotel by Angsana
ルアンパバーンのリゾートホテルです。4月だと大人2人で13,500~15,500程度です。観光地に近く、清潔で、スタッフがきちっとしています。朝ごはんもボリュームがありました。2階建てのホテルのため団体旅行客がおらず、ダラダラ、ダラダラ過ごすのに最適です。他のホテルのことは知らないですがとても良かったです。3年くらい住みたい。
②現地で申し込んだ象のツアー
象に乗って一時間ほど川べりを散歩できます。一生分の「象乗り」体験を済ますことができます。
③メコン川で夕日を見る
客引きのおじさんと値段交渉して、ボロい船でぐるりと回りました。客は夫と私だけでしたが、特に殺されたり追加料金を請求されたりもしなかったです。すごい。
④ソンパオ(ルアンパバーン)
日本の方が経営している料理店です。伝統的なダンスを見ることができます。
国立劇場がキャンセルになったため仕方なく行ったのですがとても良かったです。酒をチビチビ飲みながら、子供が一生懸命頑張っている姿を見れます。
⑤あといろいろ
5 眠い
眠くなってきました。
お伝えしたいことは以上です。