インターネットで無駄なことを喋って後悔したときに思ったこと

 ネットの海で遊んでいると、あちらこちらに巨大なトラブルがあって、できるだけいつも見ないようにはしているけど、やっぱり根がゲスいから、どうしても目に入ってきてしまい、そのたびに嫌な気持ちになる。

 嫌な気持ちになったついでに、「いつから日本はこんな国になってしまったんだ」みたいなことを衝動的に公表して、すぐに恥ずかしくなって消したりしてしまう。

 私がそうであるように、多くの人にも強烈な「喋りたい」という欲求がある。そして、ネットの向こうから現れてきた何らかの出来事に「アレヤコレヤ」とガヤガヤみんなして喋っている。

 イライラさせるニュースは私の合理的思考を隠してしまい、それで「あの事件で悪いのは一般的にAだけど、私はBだと考える」なんて言ってしまう。それがまた誰かの怒りに火をつけて「それってBに対して失礼でしょう」だとか「あの事件に関して話せる立場ですか?」みたいなやり取りになってしまう。そんなシーンをよく見る。

 それで、そんなことを目にするにつけ「何かを公表するってことは、何らかのリアクションとセットなんだ」という当たり前の事実に思いを馳せる。無力な多くの人たちは多くの場合発言しても反応をもらえない。だからついつい忘れがちなんだけど、誰からも読まれない寂しいつぶやきひとつさえ、本当は誰かの心に石を投げて、小さなさざなみを作っている。