ヨシダんちについて

 ヨシダは同い年で、私の家から徒歩3分のところに住んでいた。彼女の家はイチゴ農家で、兄弟が4人いて、古民家に住んでいた。

 子供の頃は、全くなんとも思わなかったが、今にして思えば彼女の家は90年代の日本の平均からは少し距離のある建物だった。台所は土間にあり、以前使っていたかまどの横に無理くりにシステムキッチンが備え付けられてあった。土間は広く、千歯こきや唐箕が所狭しと並べられていた。多分土間だけで20畳近くあったのではないか。

 一方で畳のスペースはそれほど広くはなくて、4人の兄弟たちは隣り合う6畳の部屋2つに押し込まれていた。一人あたり3畳で良いということなんだろう。

 夫婦の寝室ともふすま一枚で仕切られたきりで、プライバシーもへったくれもないその空間は、子供にとって快適そのもので、まるで猫の子がギュウギュウにおしあって遊ぶみたいな感じに、そこに集まってはゲームに興じたり、漫画を読み漁ったりしていた。そのあたりの家はたいてい畑をもっており、休日になると親たちは畑で農作業をする。よって、子どもは大体のところ自由だったように思う。

 我々は常にどちらかの家で遊んでいたのに、ヨシダの親からは一度も叱責を受けたことがなかったし、ヨシダについても、私の親がなんらかの嫌味や小言めいたことを言っているのを見たことがない。我々は自宅においてはともに「自己主張しない女の子たれ」という前近代的な教育を受けていたが、それぞれの家ではどうしてだか好き勝手に過ごすことが許されていた。親同士はそれほど親密ではなかったようだが、今にして思えばなんらかの暗黙の了解があったのかも知れない。我々は、そのおかげで存分にやりたい放題し、お互いの家を隠れ蓑のようにして「女の子らしくなさ」を勝手に育て上げていたように思う。

 ヨシダと私は、がさつなところと、漫画を愛してやまないところを共有していた。ふたりとも常に漫画を欲しており、ありとあらゆる手段でもってそれをかき集めた。ヨシダの家にはジャンプがあって、ちゃお、花とゆめがあった。私の家ではコロコロとなかよしがあった。ほかにも近所には子どもがいて、全員で力を合わせてはサンデー、マガジン、マーガレット、別マ、花とゆめ、りぼんをシェアしあっていた。

 特に分かり合っているわけでもなく、それぞれに人格的欠陥を抱えた子どもや親ばかりだったのに、このシステムは非常に円滑に維持されていた。眼の前の小さな所有欲を遥かに超えるほど強く、たくさんの漫画を読みたいという欲求を子供全員がもっていたということだろう。

 その時の友人たちとは全くの疎遠で、忘れてしまったことも多いが、読んだ漫画のことはしっかり覚えている。おそらく彼彼女らも同じだろう。思い出を共有する他人がどこか遠くにいるというのは面白いものだ。