とはいえバッグなんて単なるモノだよ、と今は思う

 夫と出会った頃、私は強烈に打ちのめされていた。なんでだか見知らぬ土地に一人勤務することとなって、しかも職場ではうまくいかなくって、近くに本屋も映画館もスタバもなくて、完全に頭がやられていた。

 そんな中偶然知り合った夫は、頭がおかしくなっている私を見て「なるほどこの人はストレスの解消方法を知らないんだな」と思ったらしく、あちこち車で連れ回してくれた。鳥栖プレミアム・アウトレットもそういった場所のひとつである。

 鳥栖プレミアム・アウトレットは、佐賀県にある巨大なアウトレットモールである。鳥栖は九州における交通の要所であり、高速道路を使えば福岡市内からわずか30分程程度で到着する。そこは、福岡のみならず多くの九州民に知られており、普通の休日も人でごった返している。

 夫はどうも学生時代にこういった施設と邂逅していた様子で、およそファッションと縁遠いところにいた私に「世の中にはブランド品が安く買えるアウトレットモールという場所があるのだ」と車中で説明してくれた。

 カリフォルニア州南部をイメージしたとかいうそのショッピングモールは、あまりにも刺激が強かった。地元のイオンにも出店していない店がたくさんあって、しかも普通より安い。店をまわりながら、なぜこんなことが可能なのか不思議だった。

 そこで夫の洋服を見立てている間「メイちゃんにもなにか買ってあげる」と度々夫が言った。私はこういうとき欲しいものが思いつかない人であるので(そしてあとから後悔する)そのたびに断った。

 しかし、コーチに入ったとき、とても素敵なバッグを見つけてしまった。バッグはとてもきれいな水色だった。値段は三万円で、イオンで買った 三千円のバッグを愛用している私にはあまりにも高嶺の花だった。

 そのバッグを抱えて眺めていると、横の夫は「この人はこれがほしいんだな」とすぐに察知したようだった。「買ってあげる」「いらない」の問答がしばらく続いて、最後には根負けしてそれを買ってもらうことになった。店を出たとき、手提げを中心に罪悪感とも喜びとも分からない感情がグワっと身を包んだ感じがした。

 このとき「なぜある種の女性はバッグに執着するのか」を私は知ってしまった。バッグは単なるモノでなく、象徴なのだ。愛されていること、地位、パーソナリティ、価値観、それをギュウギュウに詰め込んだものがバッグなのだ。

 その後しばらくして、地元のファミレスで久しぶりに、上京した高校の同級生と会った。彼女は新作のコーチのバッグを持っていた。そのとき私はもう、アウトレット用のバッグとそうでないバッグがあるということ、それらは価格がぜんぜん違うことなどを知っていた。彼女は私が同じコーチの、しかしアウトレットで買ったバッグを大事に持っていたことに気づいただろうか。

 彼女とふたり話していると、価値観がすでに違ってしまっていることに気づいた。私はいまでも、彼女のことを思い出すとき、遠くなってしまった価値観のことと、あのときのバッグのことを考えてしまう。