南阿蘇、甘い牛乳と光る湧水、黒い大地と赤い牛肉

 南阿蘇はめっちゃ良い。最高である。例えるならプールのなかで光を反射するガラス玉、草原をさざめかせる5月の風、朝日に透ける水風船、それが南阿蘇だ。

 阿蘇山は、野焼きされ山肌が一面草原になっている。草の緑に墨を落とすようにぽつぽつと太った牛が放牧されており、その山に沿うように国道が走っている。国道の周りにはドラッグストアもツタヤもない。マックもない。たまにガソリンスタンドがあって、ちょこちょことパン屋があって、レストランがあって、お弁当のヒライ味千ラーメンがある。

 店の隙間をよく見ると小さな道が伸びている。その道を行けば、別荘地だとか、喫茶店だとか、カレー屋だとか、ペルシャ絨毯屋とかにたどり着く。

 多くの素敵な店が分かりにくいところにある。「なぜここにこの店を作ろうと思ったんだ?」と度々思う。離合の難しい山の中になんでだか琉球ガラス専門店があり、しかも食器を買ったら淹れたばかりの珈琲を勧められて、なんだか知らんが飲んでしまう。窓からは庭の木が揺れるのが見えて、ぼんやりとそれを眺めてしまう。

 更には温泉、温泉がある。入るべき温泉はいくらでもあるが、旅行者ならまずは地獄温泉清風荘に行くといい。200年の歴史を誇る、山間の、冗談みたいに絵になる旅館には、未だに混浴温泉があり、しかもその温泉は広々とした露天風呂で、さらにいうと硫黄の香る白いお湯が絶えずわき続けている。もちろん男女別の露天風呂も内風呂もある。うまい夕飯も食べれる。湯治だってできる。

 南阿蘇は極楽だ。ペンションも安い。腹いっぱい美味い夕飯が食べれて、さらにワインを飲んで、朝には朝ごはんも当然食べて一人あたり1万円いかなかったりする。

 南阿蘇は九州の良心だ。良心にぜひ触れよう。

ミラノというところ

 ミラノ駅を降りたのは、イタリア旅行も終盤に差しかかかったころだ。もはや見分けも付かないくらいたくさんの古い建物と美術品ばかり見ていた目には、明るいガラス張りの天井から差す光が、仕立ての良さそうなスーツの女性や、キョロキョロしている旅行者たちを白く照らすのがとても新鮮に写った。(ずいぶん現代的な駅だな!とその時は思ったが、今調べたら 1935 年築だった。 )

 イタリアには2週間ほどいたが、見どころがありすぎて常に急ぎ足だった。ミラノも例外ではなく、我々夫婦は有名なその駅をすぐに飛び出して、バタバタとドォーモやガッレリア、スカラ座を見て回った。

 とはいえ、ふたりして計画性がないので、最大の目的である「最後の晩餐」を見終わったあとは、微妙に時間が余ってしまった。仕方ないので道端で協議した結果、我々は最後にスフォルツァ城に行くことにした。「地球の歩き方 イタリア編」によると博物館があるらしい。時間はギリギリだった。我々はまた街なかを小走りすることになった。

 城に向かう途中、道端で背の高い黒人に夫が腕を掴まれた。「ミサンガをあげる」というありきたりな詐欺である。旅行中、スリに取り囲まれたり、お釣りをごまかされたり、しつこく寄付をせがまれたりしてきたので、詐欺それ自体に驚きはなかったが、体を掴んでくる人はいなかったので我々はギョッとして、すぐに無言のまま走って逃げた。その後、詐欺師が見えなくなってから、二人して「ミラノやばい」「都市部怖い」と感想を述べあった。

 スフォルツァ城に付いた頃、庭園にはこれから帰ろうとする人ばかりだった。その流れに逆らっているのは私と夫だけのようだったが、構わず博物館へむかった。

 閉館が近かったので我々はとても焦っていた。博物館の入り口に付く頃にはふたりとも息が上がっていた。職員さんは、顔を真赤にした東洋人がおもしろかったのかニコリと笑うと、なぜだか無料で館内に入れてくれた。

 これがとってもうれしかったので、我々はミラノについて思い出すとき「怖い人もいたが優しげな人もいたね」といつも言い合う。

ギョレメの気球

 トルコには見るべきものが山ほどあるが、やはり第一はカッパドキアだろう。

 カッパドキアとは、(詳しくは私もよく知らないが)トルコにあるアナトリア高原あたりの地域をいう。ここには薄ベージュ色のザラザラした巨大な石がキノコのように林立している。石をよく見るとあちこちに窓が開いている。一部は崩れている。一部はしっかり残っている。この、トルコ随一の世界遺産は、そのへんのチマチマした遺跡と違って、本当に視界いっぱいに広がっている。

 私達夫婦は「奇石群にアクセスがいいらしい」という曖昧な理由でギョレメに宿をとったが、実際はアクセスがいいどころか、奇石群の中に村があるといった感じだった。

 トルコがはじめての海外旅行で、しかも国内旅行の経験も数えるほどしかなかった私は、世の中にこんなスケールの奇景があるとは思いもしなかったので、心から仰天した。めちゃくちゃ広いのである。まじで。

 このカッパドキアには外せないホットなアクティビティがある。気球である。朝日が登るタイミングで、気球を飛ばし、壮大な景色を空から眺めようということで、大人気らしい。当然私達もギョレメ最終日にツアーを予約した。

 ギョレメについた初日の朝、5時頃から私達は起き出した。近所にあるという(インターネットで調べた)絶景の朝日スポットに向かうためである。最終日には自分たちが乗るはずの気球を、地上から見るつもりだった。

 絶景スポットには、あっけないほど簡単に行けた。宿から1キロくらいだったように思う。周囲は真っ暗で、観光客もまばらだった。草原の中、最初は二人でコソコソと話していたのだが、しばらくするとそれにも飽きて、それぞれ勝手にウロウロしはじめた。そうこうしているうちに、空が白んできて、気球も少しずつ飛び始めた。

 朝日は奇石群をピンクに染めて、そこに影を落としながらゆっくりと気球が飛んでいった。朝日は、日本で見る朝日と同じ色だったが、照らされている景色は想像したことさえないものだった。

 適当に行き先を決めた旅行だったが、この景色を見ることができて本当に良かったと思う。ただ、心残りなのは最終日に天候の都合で気球に乗れなかったということだ。喜びを後回しにするのは本当に良くない。

 

空港で寝る

 海外旅行に行く前は想像もしなかったが、海外に行くたびになんやかやと空港に泊まっている。よく知らない海外の空港で、財布やパスポートを気にしながら寝るなんて、やる前はとてもできないと思ったけれど、結構なんとかなるものであるし、今となっては割と好きだ。

 最初の空港泊は、たしかタイのスワンナプーム国際空港だったかトルコのアタチュルク国際空港だったような気がする。(そういえばハブ空港である香港国際空港じゃないのなんでだろう?今度夫に聞いてみよう)

 夫は最初、海外旅行初心者の妻(しかも結婚したばかりの!)を空港のベンチに寝させるつもりはなかったようで、「ラウンジに泊まろう。多分なんとかなるっしょ」と言っていた。しかし、ついてみたら、ラウンジは次々と閉まっていくし、開いているラウンジは夫の持っているクレジットカードとは関係のないところばかりで、あちこちあるき回ったあげく、我々はラウンジ計画を諦め、そのへんに寝る場所を探すことになった。

 世の中には寝やすい空港と、寝にくい空港があり、寝やすいかどうかは治安とべンチの形状にだいぶ左右される。とりあえず The Guide to Sleeping in Airports を検索すると、幸いにも治安は悪くなさそうだった。しかしすでに多くの寝やすいベンチは他の人達に確保されており、私と夫は「このまま寝ずに朝まで過ごすのか…」と悲しい気持ちになった。。

 夜もだいぶふけて(確か深夜1時ごろまで寝るところを探し回ったと思う)最後には二人なんとか眠れるようなベンチを発見し、寝っ転がりながらケータイをいじったら、またたくまに緊張が消え失せ、私はザックを抱えながらぐっすり眠った。一方で、夫は一睡もせずに周囲に気を配っていたという。

 朝、目が覚めたとき、周囲にはムスリムと思しき人達がたくさんいてガヤガヤと話し合っていた。私は複数のムスリムの人たちをこんなに間近でみることがなかったのでびっくりして、(わぁ!これが異文化ってやつなのか!)とびっくりした。

 寝るのも寝れないも、ものが盗まれても自己責任、周りは会話すらできない人ばかりというのが海外旅行である、と私は感じるんだけど、それって多分この初回の空港泊で刷り込まれた概念なのかなぁと思う。というわけで、また空港に泊まらないと行けないくらいの遠くに行きたいなー。行きたいなー。

あーラオス行きたい

 突然だけどラオスに行きたい。

 金を惜しんで自宅にこもっていると、頭に浮かんでくるのは去年の夏すごしたリゾートホテルのことである。街全体が世界遺産であるルアンパバーンの、中心部の端っこに位置するメゾン サウバンナフォウム ホテルで過ごした3日間は私のしょっぺぇ人生における最良の時間で、度々私の意識を遠くへさらって行く。

 バンビエンからルアンパバーンへはバスで4時間程とのことだが、私達夫婦は朝からトータルで7時間程狭いバスの中で過ごすことになった。我々は薄いシートに揺られながら、二人で繰り返し「地球の歩き方ラオス編」を回し読みした。その時頭の中で思い描いたルアンパバーンは、実際に訪れてみると想像通りのおだやかで素朴な街だった。

 長時間のバスに疲れた私達は、顔もバッグもホコリまみれで、高級感が有り余るホテルのフロントに少し臆したけども、クタクタだったので二人して高そうなソファにどっかり腰掛けて、今後の予定について話し合った。フロントの女性は、汚い格好の我々に最高のビジネススマイルでもって接してくれたので、私は自分たちが王族になったみたいな気持ちがした。

 案内された個室には、すでにお香が焚かれてあり、クーラーが効いていた。前日は一泊1500円のところに泊まったので、あまりの格差に足元がふわふわした。

 この手のリゾートホテルには何度か泊まったことがあったけれど、泊まるたび「よその世界にいる」という居心地の悪さを感じていた。しかし、ここは例外で、心からのんびりと過ごすことができた。多分、スタッフの方たちが真剣に丁寧にもてなしてくれたからだと思う。

 ラオスはすごく素敵な国で、働いている人たちが親身になってくれる。これって働き手としては大変なことなんだけども、旅行者としてはやっぱりありがたいなぁと感じる。どうか魅力を損なわずに、それでいてより経済的に豊かになってほしいなぁと思う。また行きたい。